Tromsøノルウェー北欧

ノルウェー トロムソ 自然から歴史まで内容が濃い!トロムソ博物館!

世界最北の総合大学トロムソ大学の一部にもなっているトロムソ博物館(Tromsø Museum– Universitetsmuseet)。ここでは地質学、動物学、植物学、考古学のジャンルに分けて非常に興味深く標本を展示しています。さらに、サーミの人々の歴史、この北部ノルウェーにキリスト教がやってきた当時の歴史も詳しく展示しており、かなり内容の濃い博物館です。

今回はトロムソ博物館(Tromsø Museum)を訪れましたので、実際の写真と解説を交えて紹介します。

ノルウェー トロムソの位置

上のマップ上、オレンジのピンがトロムソです。

比較として、ブルーのピンを打ってみました。ブルーのピンは北欧4国各国の首都の空港です。

トロムソへのアクセスについて以下にまとめていますのでどうぞご覧ください。

トロムソ空港⇔街中心のアクセス

トロムソ空港⇔街中心のアクセスについては以下に詳しくまとめましたので、是非ご覧ください。

トロムソの観光

トロムソの観光について観光スポットを以下に詳しくまとめましたので是非ご覧ください。

トロムソのホテル

トロムソのホテルの選び方について以下に詳しくまとめましたので是非ご覧ください。

Tromsø Museum(トロムソ博物館)へのアクセス

茶色のピン:Tromsø Museum(トロムソ博物館)

オレンジのピン:北ノルウェーサイエンスセンター

赤色のピン:トロムソ橋

グリーンのピン:The Polar Museum(北極圏博物館)

紫のピン:Tromsø Cathedral(街の中心的目印)

黄色のピン:水族館Polaria(ポラリア)

ブルーのピン:トロムソ空港

Tromsø Museum(トロムソ博物館)はトロムソ島の南の端にありますので、トロムソの街中心からは公共バスを利用して行かれることをお勧めします。

Tromsø Museum(トロムソ博物館)へのアクセスについては以下がメジャーな方法です。

1.トロムソ街中心から行く場合

  ・37番バスに乗り、Tromsø Museumバス停で降りる。そこから徒歩5分

  ・33番バスに乗り、Telegrafbuktaバス停で降りる。そこから徒歩10分

 

2.  トロムソ空港から行く場合

  40番か42番バスに乗り、Giæverbuktaバス停で34番バスに乗りかえ、Telegrafbuktaバス停で降りる。

トロムソの街の公共バス利用については以下に詳しくまとめましたので是非ご覧ください。

トロムソの公共交通機関の公式ウェブサイトはこちら

Tromsø Museumバス停

Tromsø Museumバス停の様子です。街中心から37番バスに乗ってやってきた場合に降車するバス停です。この坂を5分ほど登った先にTromsø Museum(トロムソ博物館)があります。

バス停から坂を登って歩いていると左手にTromsø Museum(トロムソ博物館)が見えてきます。入口は建物を見ながらもう少し登った先にあります。

坂を上ってトロムソ博物館の正面にやってきました。この博物館もトロムソの他の博物館と同様トロムソ大学の管轄です。では入口から入ってみましょう。

入るとすぐチケットカウンターがありますので、入場料を支払います。カウンターの横と向かいにはお土産販売コーナーがあります。

入場料等情報

6月1日~8月31日 9時~18時

9月1日~5月31日 月~金:10時~16時30分、土:12時~15時、日:11時~16時

5月1日、5月17日、12月24日、12月25日は休業日、それ以外は基本通年営業。

入場料:大人一人60NOK、その他料金設定あり。

トロムソ博物館の公式ウェブサイトはこちら

お土産コーナーはサーミの旗やニット帽、書籍など結構豊富な品揃えです。

この先(写真左奥)にはホールとカフェがあります。ちょっと行って見ましょう。

1階奥には研究発表やセミナー等に使用されるホールがあります。

ホールの隣には明るく広い休憩スペースがあります。無人でセルフのカフェを併設していますので、商品購入の際はチケットカウンターのスタッフに告げて商品の料金を支払います。

Tromsø Museum(トロムソ博物館)

1階部分に「Unnaturally-the changing environment」というテーマが展示されています。写真の標本はキタトックリクジラの骨格です。キタトックリクジラは19世紀から20世紀初頭までノルウェーとイギリスによって大規模な商業捕鯨の対象でした。なお、和名のトックリ(徳利)は頭部の形状が徳利に似ていることに由来しています。

1階のこの展示エリアでは北極圏の動物の生活様式などの説明がなされています。トナカイの写真以外にも北極グマや北極圏で見られる鳥達の展示もあります。

では2階に上がってみましょう。

2階は「オーロラメカニズムの説明」「サーミ文化」、「サーミの歴史」、「Focus on Fire(火についての特集)」、「ecclesiastic art(北ノルウェーにおけるキリスト教の聖職者達の歴史)」の展示があります。なかでもサーミに関する展示はかなり見応えがあり、サーミの歴史と、現在までの政治的プロセスをそれぞれ別のブースで展示しています。

2階上がってすぐの部屋にはオーロラ説明のブースです。太陽風と地磁気圏をわかりやすく表示しています。ス太陽風が太陽からやってきて、その後地磁気圏の尻尾に沿って地球側に引き戻される様子を説明するモニターです。

サーミの人々の言い伝えでは、オーロラは魔力を持った狐が北極圏の山を走り回ることによっておこる光で、その狐が尻尾を振りはらうことで光の束が夜空に舞うというものがあります。北部ノルウェーではオーロラに関する神話や言い伝えに伴うイラストを多くの博物館で見ることができます。

これはオーロラに携わる人なら知らない人はいない、というぐらい有名な写真です。ノルウェーの科学者Kristian Birkelandが作成した太陽系のモデルTerrellaで、太陽によってチャージされた粒子がオーロラのトリガーになっていることを示しました。彼の理論はこのTerrellaという名で知られる電磁場を備えた地球モデルから構成される太陽系モデルと、真空管の使用により電磁を利用して地球が持っている磁場の再現に成功しました。そして、地球モデルの両極の周りに光が放たれることを証明するにいたりました。

Kristian Birkelandはオーロラ研究に最も貢献した人物の一人としてノルウェー紙幣にそのポートレートが印刷されました。

なお、オーロラ研究の歴史についてもっと詳しく知りたい方は、北部ノルウェー アルタのThe Northern lights Cathedral地下にある博物館がおススメです。

オーロラはその標高によって色が違います。標高10㎞~100㎞の比較的低い場所のオーロラは赤色がかって見え、標高100㎞より高くに存在するオーロラは緑色に見えます。

サーミ文化の展示は1973年にオープンしました。1970年代においてはサーミの歴史と文化は人々に知られることはほとんどなく、どんな歴史的背景を伴って北スカンジナビアにサーミの人々が暮らしていたのかを説明する目的でこの展示が始まりました。

なお、サーミに特徴的な帽子ですが、その形によってどの地域出身のサーミかわかるということです。

展示はサーミの人々の文化、住居、移動方法、衣服など多岐にわたります。

多くの展示物によりサーミ文化の独自性を見ることができます。

木組みのサーミテントを屋内で間近で見られるのはこの博物館のみです。

サーミの民族衣装の特徴として、色彩豊かなコルト(Kolt)があげられます。フェルト地で織られるこの上着は地方ごとによって細かく異なるとのことです。帽子や飾りの違いによってどこの出身かが分かるようです。長年の先住民軽視の風潮がありコルトを羽織る人が減っていましたが、昨今民俗的なものが再度注目されてサーミの若者たちを始め、北欧の若者たちの間でファッションとして身に着ける流れがはっきり存在します。個人的にも色使いやコルトの独特の青と赤とアースカラーの色使いは部分的に使用しても十分アウトドアでも生えると思います。

では別のブースに行って見ましょう。次のブースは「Focus on Fire(火についての特集)」ブースです。

インディアンテント(右上)とサーミテント(左下)のテント内の火を中心とした家族メンバーの配置や、物品の配置について説明しています。年齢、性別、社会的ステータスによって座る位置が決まっていたことがわかります。

モンゴルテント(右下)とチベットテント(左上)の火を中心としたテント内の各配置を示しています。草原等で生活する人々の世界中のテント内の人・物の配置を同時に比べてみると共通点や相違点がわかって非常に興味深いです。

さあ次は「ecclesiastic art(北ノルウェーにおけるキリスト教の聖職者達の歴史)」のブースに来ました。写真の人物はマルティン・ルターです。ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物です。ノルウェーのProtesutant Reinformation(宗教改革) の波は他のスカンジナビアやヨーロッパ諸国より少し遅れてやってきました。

1600年代に入るとイナリサーミの人々はキリスト教の洗礼を受け始めました。これにより従来のサーミの言語や伝統、従来からの精霊信仰が弾圧により消失しはじめます。

サーミの人々の信仰は元来、森羅万象に宿る様々な精霊を対象とした精霊信仰でした。季節・健康・繁栄・災害・自然の恩恵などすべてのものが精霊の力によるものという信仰です。精霊の声を聞く人をノアイデという祈祷師(シャーマン)といい、シャーマン・ドラムを鳴らしながらトランス状態に入り問題となっている精霊の特定・解決方法を知るという役割があったようです。

シャーマンドラムについてはアルタ博物館が詳しく展示解説しています。アルタ博物館は世界遺産の「アルタの岩絵」もあり、筆者おススメの博物館の一つです。

ノルウェーにおけるキリスト教の歴史ブースの次に、近代~現在に至るまでのサーミの歴史、政治的なプロセスの説明展示ブースにやってきました。
 
 
ノルウェーを占領、支配することは当時のドイツ軍にとっては、西側同盟国による攻撃を防御するために必要なことでした。約340の拠点がノルウェーで建設され、大西洋の壁と言われました。1941年6月以降、対ソビエト連邦に向けてノルウェーの海岸線は武器類の輸送にますます重要となり、北部ノルウェーは東の前線に行くドイツ軍部隊の拠点になりました。
ソビエト軍の大攻勢のため1944年10月にドイツ軍はフィンランドから退却することが必要になりました。そしてドイツ軍が退却していく場所では、「焦土戦術」が実行されることになります。これはロシア人や同盟国にとってすべての家およびすべてのインフラを使用できなくするために破壊するというものでした。
サーミの人々の暮らしも当時北部ノルウェー、北部フィンランドにおいて破壊されました。

そして、1945年5月8日ヨーロッパでドイツ軍が降伏し戦争が終わります。

 

 
大戦以前からもノルウェー政府によって初等教育からアルファベットの使用と、ノルウェー語が始まっていました。これはノルウェーに限ったことではなく、フィンランドやスウェーデンにおいてもサーミ語の使用を控え、それぞれの国の言語を学校では教え、話すという決まりになっていました。そうしてサーミ言語自体が徐々に薄まって行き、サーミ自体が固有の民族として認められず、その人権が軽んじられる風潮があり、サーミであることを他の場所では言えない環境になっていました。
 
 
サーミは元来北部スカンジナビア(一部北西ロシアを含む)に固有の土地を所有しており、固有の言語・文化を持った民族でした。第二次世界大戦の後、サーミの間でもサーミが独自の文化を持った民族としてさらに政治的にも影響を及ぼすような動きが出てきました。博物館での展示は1945~1960年、1960年~1980年、1980年~現在に分けてその歴史を展示説明しています。
そして今ラップランドは現在ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシアの国境をまたいで、半国家のような概念になっており、サーミ人議会(1989~)は実際に自治権を獲得するほどではないものの、公式機関としてサーミ文化・サーミの人々のために活動しています。
 
 
現在、先祖にサーミの由来を持つ人々は、自身がサーミ由来であることに誇りを持って生活できる世の中になっています。それぞれの人のバックグラウンド等を見ることができる展示になっています。
 
 

最後に

いかがでしたか?地質学、動物学、植物学、考古学のジャンルに分けて非常に興味深く標本を展示し、さらにサーミの人々の歴史、キリスト教がやってきた当時の歴史も詳しく展示している、内容の非常に濃いトロムソ博物館。サーミの歴史の展示に関してはフィンランドイナリのサーミ博物館SIIDAと同じぐらいかもしくはより詳しく解説しています。ラップランドエリアの中ではサーミの歴史や生活の展示はSIIDAとトロムソ博物館が最大だと思います。彼らのライフスタイルだけでなく信仰や歴史も非常に興味深く、この博物館だけでもかなり学ぶことができて個人的にはおススメの博物館です。もしオーロラ観光でトロムソを訪れた際にはトロムソ博物館にも行ってみてくださいね。

トロムソ博物館の公式ウェブサイトはこちら

フィンランドイナリのサーミ博物館SIIDAについては以下にまとめていますので是非ご覧ください。

フィンランド イナリ観光 ラップランド最大規模のサーミ博物館!SIIDA
フィンランドの北部、北極圏内のエリアもオーロラ観光で人気のエリアです。その中でも筆者が断然おススメする「イナリ」はサーミ文化の中心と言われています。今回は実際に行って撮影した写真を交えてラップランド最大規模のサーミ博物館「SIIDA」を紹介します。

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