フィンランドの北部、北極圏内のエリアもオーロラ観光で人気のエリアです。フィンランド内に他に観光地として有名な所はありますが、オーロラを見るなら筆者のおすすめは断然「イナリ」です。イナリは他の有名観光地よりもさらに北にありイナリ湖で大きく開けているためオーロラ鑑賞のために特にバスツア―等で何時間も出かける必要がありません。
そしてサーミ文化の中心と言われるイナリにはサーミ文化・歴史についての博物館「SIIDA」があります。おそらくサーミについての博物館としてはラップランドエリアのなかで一番規模の大きいものになります。
今回は実際に行って撮影した写真を交えてサーミ博物館「SIIDA」の紹介をします。
サーミ博物館 「SIIDA」の場所
SIIDAの場所は↓のマップの通り、イナリの北東の一番端にあります。
イナリ中心部のホテルイナリやVilla Lancaからは徒歩で15分、ホテルクルタホヴィからはやや近く徒歩12~3分程度です。
E75を北上する向きで右側にサーミ博物館Siidaはあります。
サーミ文化・歴史の博物館 「SIIDA」
SIIDAの入り口です。季節によってopen時間が異なりますが通年営業です(冬季は10~17時、夏季は9~19時)。では入ってみましょう。
-20℃の極寒の外とは違って施設内は暖かく調節されています。写真右にあるカウンターで入場料(大人1人10ユーロ、子供1人5ユーロ、その他も料金設定あり)を支払います。もちろんクレジットカードに対応しています。
チケット購入時にカウンターのスタッフからSIIDA内部の説明があります。施設内には計5つの展示スペースがありますが、メインは2階にある2つの展示スペースということです。あと、施設内は暖かいからダウンをハンガーにかけておいていいですよ、ということです。では2階に行ってみましょう。
右手にショップを見ながら緩やかなスロープで2階に上がります。
スロープを上がり切って左側はレストラン・カフェになっています。
SIIDAの2階部分は3つの展示スペースがあります。オレンジマークの部屋(イントロダクションパート)でサーミの長い歴史が紹介されています。そしてグリーンマークの部屋がメインの展示スペースです。(私が訪れたときはブルーマークの部屋は子供達のプレイルームになっていました。)
イントロダクション展示スペース
イナリ地域に人間が住み始めた最も古い時期が紀元前7000~8000年頃と言われます。その頃はイナリ湖の近くに住んでいて、その後の石器時代には人々が現在の北部スウェーデンに位置する地域からも移ってきたようです。石器時代のものとしては矢の先の部分、斧、アイスピックなどが考古資料として発掘されてきています。
紀元前2000年台以降にはノルディックの国々においては銅器や鉄器を使用するようになり、実際イナリからは一か所だけですがLusman島から首飾りやリストバンド等の青銅品が発見されました。また紀元前600年頃にはイナリで鉄の利用もしていたことが分かっています。
紀元後300~800年はイナリにおいて鉄器が使用されていたと考えられますが、考古学資料としては乏しい時代のようです。イナリ地域で青銅で装飾されたナイフや銀製の首飾りなどが発見されていますが、これらは800~1300年の鉄器時代後半のものになるようです。
中世になると、すべての北方の国々の君主(スウェーデン、ノルウェー、ノヴゴロド(ロシア))がラップランドの所有権獲得しようとしました。1323年、1326年にはこれらの国々により国境が定められました。中世(1300~1550年)におけるイナリの人々の生活についての真実を語る情報源は少ないようです。
中世後期の1550年頃におけるイナリサーミの生活を示す文書が現在残っているものとしては最古になり、それ以降の時代からサーミの住居も中央に炉がある従来の形から丸太を使い屋根のあるものに変わっていきました。
1600年代に入るとイナリサーミの人々はキリスト教の洗礼を受け始めました。これにより従来のサーミの言語や伝統、従来からの精霊信仰が弾圧により消失しはじめます。
1800年代になるとイナリサーミはその領有地をだんだん失っていきます。1800年はじめロシア帝国の台頭によりフィンランドがロシア領になり、スウェーデンがロシアに降伏しました。1800年中頃にノルウェーとの国境の問題のために夏のトナカイの放牧が困難になりました。ロシア統治下においてサーミは土着の民族として認められず、その人権が軽んじられる状況になりました。
そして第二次世界大戦時にはラップランドも戦線(Petsamo–Kirkenes Offensive)になります。その後のThe evacuation of Petsamo(第二次世界大戦の際の対ロシア軍後のドイツ軍(the German 20th Mountain Army)の退却)がイナリに住民の人権をもたらすことになります。
ラップランドは現在ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシアの国境をまたいで、半国家のような概念になっています。実際に自治権を獲得するほどではないものの、公式機関としてサーミ文化・サーミの人々のために活動しています。
現在に至るまでにイナリサーミ文化は今までにないぐらいのスピードで変化を経験しています。昔は冬はすべての村がアクセス可能というわけではなく、トナカイかスキーでしか行き来することができない村もありました。その後イナリ地域においてはフィンランド文化がサーミ文化をいわゆる”High Culture”に容易にアクセス可能にしました。サーミ言語・文化が急速に消失しようとしているのが現状ですが、そうした中、今は政府や人々がサーミ言語や文化を保存しようという動きになっています。
メイン展示スペース
イントロダクション展示スペースだけでもかなり濃い内容の展示ですが、見終わったら次にメイン展示スペースに行きましょう。このメイン展示スペース、かなり大きなスペースです。
メイン展示スペースは外周と中央部に展示が分かれています。上の写真は外周部分です。ラップランドの自然・オーロラのメカニズムなども詳しく説明展示されています。
ラップランドの自然の説明の中にはクマの冬眠の様子を説明した写真と、実際の熊の手なども展示されています。
外周の展示を色々見たら次に中央部の展示に入ってみましょう。中央部にはサーミの衣服と工芸品・生活環境等が展示されています。
サーミの民族衣装の特徴として、色彩豊かなコルト(Kolt)があげられます。フェルト地で織られるこの上着は地方ごとによって細かく異なるとのことです。帽子や飾りの違いによってどこの出身かが分かるようです。長年の先住民軽視の風潮がありコルトを羽織る人が減っていましたが、昨今民俗的なものが再度注目されてサーミの若者たちを始め、北欧の若者たちの間でファッションとして身に着ける流れがはっきり存在します。個人的にも色使いやコルトの独特の青と赤とアースカラーの色使いは部分的に使用しても十分アウトドアでも生えると思います。
サーミのコルト(kolt)についてかなり詳しく見ることができます。色使いや織り方など非常に興味深いです。
サーミの手工芸品(Duodji)はすべて生活に使用する日用品になります。動物の骨、トナカイの角、毛皮、木でつくられた日用品が展示されています。
トナカイはサーミの人々にとって万能の資源です。トナカイの毛皮でポーチを作り、さらにトナカイの腱で作った糸で縫い合わせたり、ポーチの口を縛る紐を作っています。現地のアウトドアアクティビティガイドもこのポーチをベルトからぶら下げている人が多いですね。
サーミの人々の住居の作り方について展示説明もあります。
狩猟・遊牧を行っていくうえで物品をどのようにして運搬したのかについて展示説明もあります。
お土産ショップコーナー
ラップランドおなじみのKuksa(ククサ)も販売されています。その他トナカイ皮のポーチや銀製品も販売されています。イナリ中心にあるお土産ショップよりも洗練されている印象です。
写真の、赤・青・黄・黄緑のマークがラップランドの「サーミの旗」です。皆さんもラップランドにお越しの際はどこかで必ずこの旗を見ると思います。
最後に
いかがでしたか?サーミ文化の中心と言われるイナリのサーミ文化・歴史博物館「SIIDA」。ラップランドエリア内では最大規模のサーミ博物館で、内部も観覧しやすく、レストランやお土産屋も併設されています。冬の間外は極寒ですが、博物館の中は暖かく非常に快適に過ごせるように工夫されています。そして博物館内では大昔からいかにしてこの厳しい大自然の中でサーミの人々が生活し命をつないできたのかを非常に詳しく説明しています。オーロラ観光に訪れた際にはぜひ昼間にこの博物館でサーミの文化・歴史に触れてみてください。
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