世界最北の総合大学があり、北極圏のパリとも言われるノルウェー トロムソ。オーロラ観測や極地研究の拠点としても歴史があり、多くの探検家や研究者がトロムソに滞在し以北の極地で活躍しました。北極圏の開拓の歴史、生活の様子を非常に詳しく展示している博物館です。日本語訳すると北極圏博物館になると思います。北極圏の動物や狩猟の歴史に関する展示、探検家アムンゼンの資料などの展示があります。外見は小さな建物ですが、中は2階建てで展示内容はかなり多く充実しています。
今回はこの北極圏博物館(Polarmuseet)を訪れましたので、実際の写真とともに解説紹介します。
ノルウェー トロムソの位置
上のマップ上、オレンジのピンがトロムソです。
比較として、ブルーのピンを打ってみました。ブルーのピンは北欧4国各国の首都の空港です。
トロムソへのアクセスについて以下にまとめていますのでどうぞご覧ください。
トロムソ空港⇔街中心のアクセス
トロムソ空港⇔街中心のアクセスについては以下に詳しくまとめましたので、是非ご覧ください。
トロムソの観光
トロムソの観光について観光スポットを以下に詳しくまとめましたので是非ご覧ください。
トロムソのホテル
トロムソのホテルの選び方について以下に詳しくまとめましたので是非ご覧ください。
Polarmuseet(北極圏博物館)へのアクセス
オレンジのピン:北ノルウェーサイエンスセンター
赤色のピン:トロムソ橋
グリーンのピン:The Polar Museum(北極圏博物館)
紫のピン:Tromsø Cathedral(街の中心的目印)
黄色のピン:水族館Polaria(ポラリア)
ブルーのピン:トロムソ空港
茶色のピン:Tromsø Museum(トロムソ博物館)
上の地図でお分かりの通り、The Polar Museum(北極圏博物館)はトロムソ橋のふもとにあります。街中心部の北寄りにあり、各ホテルからは簡単に歩いていける距離です。
街中心部から北極圏博物館への道についてもう少し拡大で地図を載せてみます。
街中心からはメイン通りのStorgataを北上しても良いですし、その一本海側の通りSjøgataを歩いても良いと思います。中心地からは15分も歩けば博物館に到着します。
Sjøgataのちょうど黄色のピンを打ったところあたりが道が常に建物の影になっていて、冬の間は歩道が完全に凍結しています。実際何人も転倒しているのを見たことがあります。非常に滑りやすいので注意して歩くようにしましょう。
Polarmuseet(北極圏博物館)
Polarmuseetはノルウェー語です。英語ではThe Polar museum、日本語訳すると北極圏博物館になると思います。
北極圏開拓の歴史、当時の生活の様子を詳しく解説・展示している博物館です。外見は小さな建物ですが、中は2階建てで内容は非常に濃い充実した施設となっています。
入場券等情報
1月1日ー6月14日 11時~17時
6月15日ー8月15日 9時~18時
8月16日ー12月31日 11時~17時
5月1日と5月17日が休業日、それを除いて通年営業。
入場料:大人一人60NOK、その他料金設定あり。
トロムソにある他の博物館同様、トロムソ大学が管轄しています。
北極圏博物館の入り口です。博物館らしくない入口で、自分の手でドアを開けて中に入ります。トロムソは1800年代後半北極圏開拓の玄関口で、多くの探検家の拠点となりました。この建物自体1830年代のもので、この波止場エリアにあった税関的役割部署の建物だったようです。
入口入るとすぐそこにチケットカウンターがありますので入場料を支払います。北極圏博物館は1978年6月にオープンしました。Roald Amundsenがトロムソを最後に出発したのが1928年、それから50年後ということになります。Amundsenはその時、飛行船「Italy」に乗ったUmberto Nobileらを捜索するためにトロムソから出発しました。しかしその後にアムンゼン自身も行方不明になってしまいました。つまり1928年彼がトロムソを出たのが彼の人生の最後になったといわれています。いまは北極圏博物館の横にアムンゼンの胸像、街の中心部にアムンゼンの全身の銅像があります。
入口入って右の大きな部屋では、私が訪れた時は北極圏での生態系や海流を特集した展示になっていました。
顕微鏡的な藻類、生物、菌類は冬の闇の間氷の中で冬眠します。春の到来の2週間の間にそれらは生活を再開し、繁殖を開始します。氷の下にある海水は氷直下の藻類に栄養を供給し、この藻類が小さな生物たちの食料になります。
草食動物の繁殖する場所では、肉食動物も成長します。Sympagohydra tuuliは海氷の中で生活する代表的な0.5㎜程の大きさのクラゲのような肉食生物です。海氷の中には約6500の菌類、約1000種の藻類、約50種の生物がネットワークを形成しながら生活しているとされています。
炭素は植物・生物・海底・大気の間にある決して終わることの無いサイクルの中を移動しています。その中でも藻類は重要な役割を果たしています。
北極海は何十万年も海氷によって覆われています。しかし海氷自体は10年未満のもので、それぞれ次第に溶けては北極海より外に流れて行きます。1893年~1896年のNansen’s Fram Expeditionは北極海の海氷がどのように流れていくか(海流が海氷にどのような影響を与えるか)を調査する遠征でした。そこでFramがスヴァールバルとグリーンランドの間の海峡を流れていくことがわかり、その海峡は現在「Fram strait(フラム海峡)」として知られています。
特集展示の部屋を見終わったら、今度はチケットカウンターの部屋の左側に行ってみます。
お土産販売コーナーです。ここには帰り際に立ち寄るとして、博物館メイン部分への入り口(写真左)に進むこととします。
入口から一番近いメインの展示はRoom1になります。ここでは「Trapping in the Arctic」という北極海付近の場所における土地での狩猟の歴史を展示説明しています。1795年~1893年の100年の間に14の冬の狩猟遠征がスヴァールバルで行われたということが知られています。ノルウェー人が狩猟で越冬を開始したのは19世紀の終わりころだったようです。当初の目的はセイウチ狩りでしたが、アザラシやトナカイ、北極キツネなども冬の間の狩猟のターゲットになっていきました。
スヴァールバルトナカイ(Svalbard reindeer)は世界で最も北に住む草食性の哺乳類です。北緯76度~80度の間に生息し、約1万年前にスヴァールバルに移ってきたと考えられています。トナカイの7つある種の中の1つで北極または北極圏にすむ種のトナカイです。スヴァールバルトナカイは9歳まで生き、雄はメスより少し体が大き目です。その短い脚と丸っこい顔、ずんぐりとした体つきでゆっくりと動く様子は、他の種のトナカイと異なるポイントです。岩ついた植物を食べる際に歯をボロボロにしてしまい、植物を十分にたべることができなくなって冬に死ぬスヴァールバルトナカイも少なくありません。このスヴァールバルトナカイも狩猟のターゲットでした。
北極キツネを「わな」で捕らえることは狩猟人たちにとって最も確実な収入源でした。色んな種類の「わな」が存在していましたが、それぞれが次第に禁止され、現在はShutter trapとライフルの使用のみ許可されています。
アザラシ漁の状況の展示です。アザラシ漁に使用されるボートには漕ぐ人、上陸する人などそれぞれ乗組員に役割がありました。一度に多くのアザラシを狩れた場合はその場で皮をはがす作業をしたこともあるようです。第二次世界大戦後はモーターボートが主流になり、現在は赤ちゃんアザラシを捕獲すること自体禁止されています。
アザラシには32種類あり、ノルウェーにはセイウチを含め7種のアザラシが生息しています。セイウチ、grey、harbour、harp、hooded、bearded、ringedアザラシはそれぞれ皮膚の模様、性質が異なります。
この部屋ではこのすべての7種の展示を見ることができます。
2階には「King of the Polar bear」と呼ばれ有名な狩猟人のHenry Rudi(1889-1970)、当時は男性のものと考えられていた冬の北極での狩猟に同行した女性で有名なWanny Woldstad(1893-1959)、北極探検で有名なRoald Amundsen (1872-1928)、1893年から1896までナンセンのフラム号遠征で有名な科学者であり探検家Fritjof Nansen(1861-1930)にまつわる展示があります。
セイウチは大きいもので2トン、4m程にもなります。カナダ、グリーンランドの沿岸部、バレンツ海に生息しています。さらにその特徴として1mほどの牙があげられます。17世紀までの中世においてはロシア・フィンランドから、17世紀以降はイギリス・オランダから、18世紀以降はノルウェー・ロシアからがセイウチ漁のメインとなった国でした。
20世紀まではモリのようなもので突いて狩りをしており、20世紀以降は銃の使用が始まりました。セイウチ漁が1952年に禁止されてから、カナダ、アラスカ、シベリア、グリーンランドの先住民たちのみに決まった数のセイウチ漁(1年あたり)が許可されています。
北極グマはそのほとんどの生活時間を海氷の上で過ごします。雄は600㎏、3mにもなりメスはそれよりやや小さくなります。メインの食料はアザラシです。最初に北極グマを殺した記録は1596年のWillem Barentsの遠征の時のものにさかのぼります。その後、17世紀以降は北極グマは狩猟人たちのターゲットでした。1920年頃に、アザラシの脂肪を用いた「おとり」とライフルの引き金を針金などで連動させ、北極グマがそれを動かしたり踏んだりすることでライフルが自動的に発射される「わな」が導入されました。そしてその「わな」は1970年に使用が禁止となります。狩猟人の中には母熊を殺した後、子熊を動物園などに売る者もおり、この行為も1957年に禁止となりました。このように多くの規制がかけれられることとなり、北極グマの狩猟は成り立たなくなってゆき1972~1973年が狩猟の最後の年と言われています。
博物館の2階部分は、その外からの見た目以上に内部が広く、北極探検、当時の東方ルート開拓に携わった探検家たちの写真、船の模型の展示を見ることができます。
北極グマのはく製も見ることができます。2階部分の階段を降りたらお土産コーナー、チケットカウンターです。
最後に
いかがでしたか?北極圏の開拓の歴史、狩猟・生活の様子を非常に詳しく展示している北極圏博物館。狩猟の展示内容に関してはスヴァールバル博物館とも似ている部分があるのですが、この北極圏博物館では特にアザラシ・セイウチ狩猟の展示は圧巻です。内容もしオーロラ観光でトロムソを訪れた際にはこの北極圏博物館にも行ってみてくださいね。
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